この記事は、航空安全管理隊が編集、航空幕僚監部が発行している「飛行と安全」No.〇〇から再掲載したものです。
1 はじめに
この度、「飛行と安全」に寄稿する二度目の機会を得た。本誌は、常に身近にあって、職責や立場に応じた様々な気付きを与えてくれる機関誌であり、若手操縦者の時代から現在に至るまで大いに活用させて貰っている。果たして自分の拙稿が読者の役に立つかどうかは甚だ疑問ではあるが、恩返しのつもりで思いつくままに述べてみたいと思う。
前回寄稿したのは、平成22年に第7航空団司令を拝命している時であり、「常に原点に立ち返って、ππ(こつこつ)*と」というタイトルで、自らの考える戦闘航空団における安全の原点と部隊長として着意していることについて述べた。今回の寄稿に当たり、諸先輩の貴重な考えや想いが書かれたコピーを読み返す時に、改めて拙稿を振り返る機会を得たことから概要について再度紹介してみたい。*「ππ(こつこつ)」:絶えず努める様、一心不乱な様
次に、空自における安全に係る文化について考えてみたい。最近、空自における安全に係る文化を確立し、根付かせることが重要であるとの指摘をたびたび耳にする。組織論において、ある組織の文化とは、組織の構成員に共有される信念や知識を指すのだという。果たして、空自において安全に関する信念や知識が広く航空自衛隊員に共用されているのか否か、つまり安全に係る文化が確立していると言えるのだろうか。個人的には、空自は創設以来、宿命ともいえる航空大事故を絶無のするための取り組みを通じて、安全に係る制度や体制が整えられ、安全に係る各種の活動や取り組みが組織的に行われていることを考えると、安全に係る文化は存在するように感じる。しかし、空自を取り巻く環境が激的に変化する時代となり、環境の変化への適合が求められる中で、安全に係る文化の発展、継承を適切に行う為にも、そのことについて今一度じっくり考える必要があるのではないだろうか。従って、組織における知識創造にかかる理論をまとめた野中郁次郎氏の「知識創造企業」(東洋経済出版社、1996年3月)を参考に若干の考察を加えてみたい。何らかの参考になれば幸いである。
2 変わらない原点
前回の寄稿文は、第7航空団司令を拝命して暫く経ってから書いたものである。改めて読み返してみるとやや気恥ずかしいほどの気負いがある。久しぶりの部隊勤務であり、かつ初めての指揮官職ということもあったのかもしれない。しかし、そのようなトーンになった原因は、部隊の現場における安全にかかる取り組みの中で感じた違和感、危機感であったように思う。それは、日々の隊務運営や練成訓練において、飛行、地上、服務を問わず事故を防止することが目的となり、事故がない状態が維持されることを評価するかのような雰囲気を感じたからである。団の安全会議等における発表内容に所々首を傾げざるを得ない点があっても、誰も指摘しない様子に漠然とした不安感を抱いたことがある。又、飛行訓練の現場において飛行安全の確保が至上命題のごとく強調され、決められた手順、ROE、シラバスに従って淡々と訓練をこなすことに専念しているように感じられた。リスクをしっかり認識したうえで、最悪の場合の腹案を持ちながら段階的により実戦的訓練を作為しようとする意識が薄いことに少なからず驚かされたことを憶えている。
従って、改めて戦闘航空団における安全の原点を振り返る意味で、更なる精強化の追求と安全確保の吻合が極めて重要であることを強調した。そして、偶然なのか、必然なのか、判然としない無事故の状態を良しとするのではなく、リスク管理を適切に行いながら如何に精強化が図られたか、各レベルにおける指揮、統率が適切になされているか等を併せて評価すべきと述べた。その上で、部隊長として着意すべきは、1)隊員一人一人のプロフェッショナル意識、当事者意識の振作、2)編成単位部隊長の活用であると自らの考えを述べている。安全という切り口から、隊務運営や練成訓練等を見たときに、ややもするとその切り口に囚われて本質を見失う危険性があり、「常に原点に立ち返る」ことを肝に銘じなければという想いであった。
その想いは、今も変わらず常に心の中にある。しかし、方面隊等の指揮官として戦闘機部隊だけではなく、様々な機能を有する多様な部隊を指揮する立場になると、より幅広い観点から部隊指揮を行わなければならず、部隊特性に応じて隊務運営や練成訓練の監督指導を行う必要がある。隷下の編制部隊長を介しての間接的な指導、監督となり、ややまどろっこしさを感じるが、内容に応じて指揮系統、監理監察系統、准曹士先任系統を使い分けるよう着意している。
南混団は幸いにして全ての直轄部隊長が同じ那覇基地内に所在することから、日々のコミュニケーションのみならず一堂に会しての認識の共有が容易であり、その恩恵を最大限活かすよう努力している。一段と厳しさを増す南西域の状況下にあって、泣き言一つ言わず黙々としかし明るく前向きに任務完遂に努めると同時に、各種事業や更なる精強化に励んでいる南混団の部隊、隊員に例えようのない愛おしさを感じる。だからこそ、大切な仲間である隊員を一人も失わない、装備品も失ってはならないとの想いは益々強くなっている。未だに「人事を尽くして天命を待つ」との心境に至らず、自省自戒することばかりであるが、改めて「ππ(こつこつ)」と隊務運営、責務の完遂に邁進したいと考えている。
3 安全にかかる文化の確立と継承
空自における安全に対する取り組みは、航空大事故やその他の事故で職に殉じられた諸先輩方の尊い犠牲の上に、事故処理や再発防止に取り組んだ方々の涙と汗の結晶とともに積み重ねられてきた、その蓄積は、諸外国空軍が参考にと大いなる関心を寄せられるまでに発展してきている。事故防止に掛かる各種活動、事故発生後の原因の分析、再発防止検討にかかる検討、各レベル・特技に応じた教育要領等については、CRM(Crew Resource Management)やHF(Human Factors)といった一般社会でも使われている手法を取り入れながら、制度化が図かられ空自内では当たり前のように実行されてきている。ある意味で、安全にかかる文化が空自の中に確立されつつあるとも言える。しかし、空自を取り巻く環境は大きく変化しており、その変化に何を適合化させ、何を継承するのかを考えるうえで、改めて空自における安全に係る文化について考えてみたい。
経営・組織理論の世界では、組織文化は構成員によって共有された信念と知識であると考えられている。ユニークな企業文化を持つ企業がイノベーションを成し遂げ、優良企業として発展していると言われる。空自における安全に係る文化は、安全に係る知識(信念も知識の一部)であると捉えるならば、野中氏の著書「知識創造企業」で提示されている知識創造の理論は、我々に数多くの示唆を与えてくれるはずである。
野中氏は、トヨタや日産を含めた国際的に活躍する日本企業が成功している根本要因は、「組織的知識創造」つまり、新しい知識を作り出し組織全体に広め、製品やサービスあるいは業務システムに具体化する組織全体の能力であると主張している。そして組織が創り出す知識に着目し、「形式知」(文章、数学的表現、技術仕様、マニュアル等にみられる形式言語によって表わすことが可能な知識)と「暗黙知」(個人の経験に根ざす知識で、信念、ものの見方、価値システムといった無形の要素を含む知識)という二種類の知識が相互作用するダイナミズムが知識創造の鍵であるとしている。そして、そもそも知識を所有し処理する主体は個人であるが、個人と組織が知識を通して相互に作用し、個人、グループ、組織の三つのレベルで知識の創造が起こるとしている。空自内で共有された安全に係る知識が「形式知」と「暗黙知」の二つの形態をとり、その二つの相互作用によって新たな知識が創造され、組織内で共有されているならば、安全に係る文化が確立しているとも言えるのだろう。
「形式知」と「暗黙知」の相互作用には、共同化(個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造)、表出化(暗黙知から形式知を創造)、連結化(個別の形式知から体系的な形式知を創造)、内面化(形式知から暗黙知を創造)という4つのモードが存在するという。
共同化は、経験を共有することにより暗黙知を獲得することであるとされる。安全にかかる失敗談、ヒヤリハットの経験談、のみならず部隊の指揮・統御の在り方、指揮官、幕僚としての心構え等々、先輩から経験談、失敗談として「口伝え」で聞くことは暗黙知の共同化であると言える。
表出化とは、体験や追体験を経て獲得した暗黙知を言語を用いて表現することである。つまり、個人の信念や知識を具体的に文書に書き表したり、普遍的な原理・原則として整理・表現することである。「飛行と安全」に投稿されている諸先輩が自らの体験を通じて得た考え方や信念、更には安全に係る教範等に書かれている内容は、暗黙知が形式知に表出化したものだと言える。
連結化とは、異なる形式知と形式知を組み合わせたり、整理・統合して組み替えたりすることによって新たな知識を作り出すことである。後方部門におけるM-Shellモデルによる事故原因の分析や再発防止策の検討、運用部門におけるCRM(Crew Resource Management)手法やHF(Human Factors)手法の安全活動への応用等は、部外の社会科学的手法が空自内の活動に応用され、空自内において普通の活動として定着していることは、ある意味で知識が連結化されたのである。
内面化とは、形式知を暗黙知へと昇華させるプロセスであり、書類やマニュアル、手記や体験談等の文書に言語化された知識を実際の行動や実体験によって学習、追体験し自らの暗黙知にすることである。部隊において安全教育等の場で得た知識を、現場の隊務運営の中で活用し、実践することにより、その知識が当たり前のこととして慣習化されていくことは、内面化の作用であり、ごく普通に身近で行われている。
この4つの相互作用は、個人を主体に行われるものの、主に表出化、つまり暗黙知を形式知にすることで他者と共有され、増幅され、スパイラル的に組織としての知識に昇華してゆくとされる。つまり、個人の暗黙知が表出化、連結化を通じて、組織としての知識に変換される、つまり組織の文化が確立されるのである。空自における安全に係る知識は、長年にわたる安全に係る様々な取り組みを通じて、「形式知」と「暗黙知」の形態を取りながら、4つの相互作用(共有化、表出化、連結化、内面化)が行われ、現状にまで確立、定着してきていると言える。しかし、より確たるものとして安全に係る文化を確立し継承するためには、組織における知識創造の鍵と指摘されている表出化と連結化、個人と組織間のスパイラル的作用に着意する必要がある。つまり、個々人の経験談、経験から得られた信念等を文書化するのみならず、指揮運用等の原理・原則や空自ドクトリン等との関係を整理し連結化することによって、より普遍的な知識として整理され、認識の共有や組織の隅々までの浸透を容易にするのである。
安全は目的ではなく、部隊の任務をより効率的、効果的に完遂するために行う部隊の指揮・統御の結果であり、航空戦力運用の思想的準拠である空自ドクトリンや指揮・運用綱要等の他の形式知との連結をはかることで、より適切な安全に係る知識が創造され、理解され、浸透してゆくのである。更に個人と組織の相互作用を更に強化することが、安全文化の確立に寄与すると思われる。
私自身も部隊長として、自らの経験、想いを日々の隊務運営の中で体現し、実行していくプロセスを通じて、幕僚、部下指揮官、隊員に想いを伝えたい。又、将来を託せる後輩に「口伝え」で伝える努力を今後とも継続していくつもりである。同時に、安全に係る文化を確立、継承するために、安全に係る知識の表出化、連結化を更に促進する組織的努力、取り組みが個人の努力と並行して行われることが重要である。又、個人の安全に係る知識を明確に確立することが、どの部分を時代の変化に適合させ、どの部分を継承してゆくのかという判断を容易にし、空自における貴重な安全にかかわる文化を適切に継承することにも繋がると考える。
4 終わりに
二度目の寄稿でもあり、思いつくままに安全に係る想いを綴ってみた。まず、前回の寄稿を読み返して、自らの原点を思い起こした。「常に原点に立ち返り「ππ(こつこつ)」と」為すべきことをやり尽くすという覚悟と更なる精強化の追求と安全の吻合を実現することによってのみ、指揮官としての責務を完遂することが出来るという想いを再確認できた。そして、空自における安全にかかわる文化について考えてみた。取り巻く環境が一層厳しくなる時代にあって、空自が変化への適合を図りながら更なる精強化を実現し、国防の任を全うするためには、創設以来築き上げてきた安全に係る文化を再度しっかりと確立することが不可欠であり、組織における知識創造の理論を参考にすると、空自の誇るべき安全に係る知識を表出化、連結化させること並びに個人と組織が共に取り組み、個人の知識と組織の知識をダイナミックに作用させることが肝要であると感じた。
空自の安全に係る文化の一翼を担う「飛行と安全」への寄稿が、私自身に又、新たな気づきを与えてくれたことに感謝するとともに、空自の安全にかかる文化の確立、継承を願ってやまない。勿論、そのために「常に原点に立ち返って「ππ(こつこつ)」と」自ら為すべきことを精一杯尽くす所存である。