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特攻隊戦没者慰霊顕彰会・会報(令和6年度)における掲載記事

万世特攻慰霊碑第53回慰霊祭に参列して(令和6年4月14日(日))ーその1

1 慰霊祭の概要

令和6年4月14日(日)、「万世(ばんせい)特攻慰霊碑第53回慰霊祭」(以下「慰霊祭」)が、万世特攻慰霊碑奉賛会主催により、鹿児島県南さつま市加世田に建立(昭和47年5月)されている万世特攻碑「よろずよに」の前において、斎行された。

万世特攻基地は、日本三大砂丘の一つに数えられる吹上浜(ふきあげはま:薩摩半島西岸の砂丘海岸)に、昭和19年末、陸軍最後の特攻基地として建設された。基地内の万世飛行場からは、昭和20年3月から6月にかけて特別攻撃隊・振武隊、66及び55各戦隊等の計201名(17歳の少年飛行兵を含む)が、祖国防衛のために沖縄方面に出撃し散華されている。

今年の慰霊祭は、快晴下ではあったが強風の中、万世特攻平和祈念館に隣接する万世特攻慰霊碑前において、コロナ禍以前の様式・要領で10時半から式次第に沿って執り行われ、11時半には閉式となった。参列者は、全国各地から44名の遺族、旧隊員等8名をはじめ一般参列者及び万世特攻慰霊碑奉賛会関係者等、約200名であった。 

 

慰霊祭の式次第は次のとおり。

1 開式のことば   奉賛会副会長

2 国旗掲揚

3 黙祷

4 追悼のことば   奉賛会会長

5 慰霊のことば   遺族代表

6 慰霊の詩     旧隊員

7 祭電披露

8 献詠

9 献花       参列者全員

10 献奏

11 若者の誓い    若者代表

12 合唱

13 国旗降納

14 閉式のことば   奉賛会副会長

 なお、海上自衛隊鹿屋航空基地所属の航空機による慰霊飛行は中止となったが、陸上自衛隊国分駐屯地の音楽隊による献奏等については実施された。

  

2 「追悼のことば」

万世特攻慰霊碑奉賛会の本坊輝雄会長は、追悼のことばに先んじて能登半島地震による犠牲者の冥福と被災地の早い復旧・復興を祈念された。またウクライナ侵攻及びアラブ諸国間の紛争が一刻も早く終息することを祈願するとともに、今日の我が国の平和と繁栄の礎が、万世飛行場から出撃した隊員の尊い犠牲により築かれたことを一時も忘れることはなく、恒久平和の実現に向け努力を続ける旨の追悼がなされた。

 

3 「慰霊のことば」

第433振武隊の一員として散華された三浦宏氏の姪にあたる藤﨑雅子氏が遺族代表として述べられた。数年前に藤﨑氏が父上の遺品を整理された際に、叔父・三浦宏氏による家族宛ての手紙を見つけ読んだところ、そこには当時の危機迫る状況や任務を全うしようとする覚悟の重さ等が書かれていたとのこと。この事をきっかけに、特攻の歴史や事実を知るため万世特攻平和祈念館を訪れて、特攻隊員の遺書を涙ながらに読んだという自らの経験を話された。その上で、あらためて平和な世の中の永続を願い、そのための努力を惜しまないとの誓いで結ばれた。

 

4 「慰霊の詩」

 旧隊員代表は、昨年に引き続き元飛行第66戦隊(操縦)の上野辰熊氏(96歳)であった。同氏は、まず比島レイテ作戦、菊水作戦等における転戦、激闘、戦力損耗の各状況から終戦に至るまでの所属部隊等の動向を分かりやすく説明された。続けて、戦時の青少年達が「至純の心」を持って如何にして国難に殉じたかを後世に伝えたいと願った故苗村七郎氏による「よろずよに」の慰霊碑の建立、郷土愛・家族愛に満ちた遺書等が展示された万世特攻平和祈念館の建立の経緯にも触れられた。結びには、「在天の英霊よ 願わくば末永く この美しき故郷日本国を護らせ給え」と万感の思いを込め慰霊の詩を捧げられた。

「続きあり」

万世特攻慰霊碑
参列者による献花
旧隊員代表・上野辰熊氏
万世特攻慰霊碑

万世特攻慰霊碑第53回慰霊祭に参列して(令和6年4月14日(日))ーその1の続き

5 「若者の誓い」

若者代表は、鹿児島県立加世田高等学校3年生の内之宮由奈さんであった。特攻隊員の心情を深く知ることの難しさを認めつつも、同年代の一人として、当時彼らが置かれた厳しい立場や過酷な状況を、遺書を通じて学び、永きにわたり慰霊していかなければならないとする姿勢が、読み上げから伝わってきた。また現代において自らや同世代の若人が平和を享受していることへの感謝と共に、次なる世代へ戦争を起こさない、起こさせない意志を伝承していくべきことについての思いが込められていた。

特に、戦争の全面否定だけを主張するのではなく、先の大戦において国家存続のために、わが身を賭した若者達の存在を忘れてはならないと強調された点が印象的であった。これに対して参列者から大きな拍手が送られた。

 

昨年、私は万世特攻慰霊祭にかかる会報記事において、『戦没者慰霊顕彰の先行き不安について警鐘を鳴らし続けるだけではなく、若い世代、とりわけ十代の児童に慰霊顕彰の行為を継承させるために、学校教育の中で我が国が過去関与した戦争・紛争に関する正しい史実を学ばせ、常識に基づく歴史観を育ませようとする教育行政が大切だ』と記述した。

昨年に続いての参列となった今年、特攻はもとより戦争を含む歴史観の育成は教育行政の義務であるべきとの思いを強くした。さらには、健全な戦争史観に関する教育が、特攻基地が存在した周辺地域のみならず、戦没者慰霊のためにも全国へ波及することを望むものである。こうした児童教育の変化の原動力に、これまで「若者の誓い」を朗読してきた地元の若者達がなっていくことを大いに期待したい。

なお、内之宮由奈さんによる「若者の誓い」の全文は次のとおりである。

 

『若者の誓い』

戦後79年、刻々と時が流れる中で戦争の悲惨な記憶も薄れてきました。79年前、この広大で美しい吹上浜と青松の広がる万世の地から201名にものぼる多くの特攻隊員が沖縄に向けて出撃していきました。いった彼らはどんな思いで出撃していったのでしょうか。彼らの心の内を知るすべはもうありません。

しかし、同年代の私たちだからこそ、彼らがどんな気持ちだったのか、もし自分が彼らと同じ立場だったらと思いをはせることはできます。

私は先日、万世特攻平和祈念館に伺い、遺書を拝読しました。どの遺書からも国にために、愛する人のためにという思いが溢れ、死ぬことに対する恐怖や弱音は一切ありませんでした。

彼らは、本当に強い気持ちだけを抱えて出撃していったのでしょうか。もっと家族と過ごしていたかった、愛する人と共に年老いるまで一緒にいたかった、友人と遊び語り会いたかった、もっと学びたかった、将来の夢を語りたかった、生きていきたかった…。そのような思いは、本当に抱かなかったのでしょうか。「戦争をするなんて愚かだ」「未来ある若者の命をなんだと思っているんだ、戦争なんて行かなくてもいいじゃないか」。当時の話を聞くたびに、平和な現代社会に生きる私は、そのようなことを考えます。

しかし、当時の日本は、戦わなければ明日の命が約束されない状況におかれていたのです。今とは全く違う教育・環境下で自分の思いを堂々と語る、ましてや自分の保身のために国を捨てて逃げるようなことはできなかったでしょう。たくさんの希望を胸に秘め、愛するものたちのために命を捧げた方々に、心から哀悼の意と敬愛の念を抱きます。そして、学びたいことを自由に学び、大いに夢を語れる私達の日常をもっと大切にし、感謝しようと思いました。

現在、日本、世界では平和について深く考えなければならない時が来ています。自分たちの平和を守るためだけの行為が他の人たちの平和を脅かす行為になり、「平和」という言葉の矛盾が起きています

現代に生きる人の多くは、戦争を経験していません。しかし、歴史を学んでいます。今一度、歴史を学ぶ意義を考え、二度と戦争が起こらないように次の世代に私達が戦争の悲惨さを語り継ぎ、平和を祈る心を次の世代に繋げていくことをここに誓います。

若者代表 鹿児島県立加世田高等学校 3年 内之宮 由奈
朗読者の内之宮由奈さん
万世特攻平和祈念館1階内
万世特攻平和祈念館内の展示物
桜島
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